風薫る
早くも、寒かった4月が終わりに近づき、汗ばむ陽気の中には、春が過ぎ夏の気配を漂わせている。風薫る5月というのは、新芽が息吹き、あっちこっちに、草花の生長を5月の風が運んできてくれる・・・そんな様子を言葉にしたものだと思ってきた。だが、2000年を迎えて10年も過ぎると、何となく風薫るというのは、私の心の中でのみ、ピントが合う言葉になっているのかもしれないと、思うようになってきた。
樹木希林さんが、「加齢する事をあるがまま受け入れる」とおっしゃっていたが、腰が曲がったり、足の膝が痛くなったり、何となく、加齢の中で、物覚えが悪くなったり、そして、若い人たちから疎まれたりする自分を、受け入れるという事は、初めは時間がかかると思う。だけれど、そう言う事を繰り返し、繰り返しする中で、老いを受け入れられるようになるものだと思えるようになってきた。
だが、抗う事は大事な事のようにも思う。年を取る事を受け入れながらも、そのことに呑み込まれてしまうのではなく、自分がその中で、どんな風に輝けるのか、その事を常に考えていたい。そうすれば、風薫る5月の、その風のように、私には、あらゆる木々からの贈り物を受け取る事ができ、お日様が作る世界を、その恵みを有り難く思える自分を見つける事ができるのだから。
子どもたちと接していて、ああ私はいくつになっても修行をしているなって思えてくる。子どもたちは、やはり柔軟であり、瞬間にその旬をつかみ取っている。この小さな子が、苦しんでいる事はまずないのだ。大人の顔を見て、笑顔を届け、そうして、こちらの喜びをその笑顔で倍増してくれる。子どもたちからいつもいくつもの大事な事をもらって生きている。その事を、大事にしたいなって思う。生きていることそのものを喜ぼうよ、そして、目の前の子どもたちが輝けるよのかなになるように、私たち大人はその事に責任を持つ事が大事なんだって、思えてくるんだ。

